音量上げずに、言葉くっきり「ミライスピーカー」を展開する株式会社サウンドファンですが、月に1回『MIRAI salon』という交流&学びを開催しています。
サウンドファンは、以下の記事でも書いていただいた通り、年齢層・経験業界も様々な、多様なメンバーが参画しています。
そこで、『MIRAI salon』では、経験豊富なメンバーが講師となり、様々なテーマで語ってもらい、メンバーみんなが学ぶ機会をつくっています。
本来は社内イベントですが、
「ミライスピーカー」を展開するサウンドファンという会社について、知っていただき、身近に感じていただきたい!
という”勝手な”想いにより、一部こちらで公開させていただこうと思います。
テーマは様々。ぜひ、お茶の飲みながらゆっくりお読みください!
今回のテーマ
ミライスピーカーの創業期からの軌跡を知ろう!
創業から10年が経過した当社。メンバーもほとんどは創業期を知りません。よって、創業メンバーである宮原から、ミライスピーカーの軌跡を創業期を中心に語ってもらいました。
今回の登壇者
株式会社サウンドファン 名誉フェロー
宮原 信弘
ミライスピーカー開発の旅
挑戦の連続だった、KENWOOD時代の音響技術開発
最初に、私の自己紹介をしたいと思います。
大学を卒業してKENWOODに入社しました。KENWOODでの、最初の大きなプロジェクトは、CDプレーヤーの1号機の開発に携わったことでした。大手電気メーカーと一緒に100人のチームを組んで、わずか10ヶ月で商品化に成功したのです。この経験は私にとって非常に勉強になりました。
しかし、時代的にオーディオが下火になり始め、同社は無線機へと方向を転じました。そして、次は携帯電話の開発となりました。
携帯電話の開発では、技術的な壁に直面しました。私たちが必要としていた技術は、まだ日本に存在しておらず、外部の支援が必要でした。そこで、シリコンバレーへ飛んで、必要な技術を探しました。
でも、1社50億とか100億とか大きなお金が必要なんですね。しかし、色々調査していくと「シリコンバレーの技術の種はイスラエルにある」ということで、イスラエルに行って100社近くミーティングをしました。
最終的には、イスラエルの7人のベンチャー企業に投資し、DSPCという会社と音声処理チップの開発に成功しました。実は、この会社、10年後には2000億円以上を売り上げ、3000万個以上を生産するまでに成長し、ナスダックに上場しました。やはり、時流にあったビジネスを展開することが大事であることが、IPO成功の条件であることを実感しました。
その後、KENWOODの早期退職して、光マイクを扱う事業で起業しました。磁気が非常に強いMRIの中で使える通話マイクとして開発し、様々な大学などでも使っていただきました。非常にユニークな技術であるのですが、お客様は決まっていて、成長性があまりないニッチな市場でした。
そんな折に、名古屋学院大学の先生が「蓄音機の音は高齢の耳の遠い方でも聞きやすい」という話を聞きました。昔は、映画館などでも1台の蓄音機で音を聴かせていたので、遠くまで音が届くのはその通りで、蓄音機の曲がりをヒントに、高齢で耳が遠い方でも聞こえやすいスピーカーの開発をスタートさせました。
ミライスピーカーの研究開発
ミライスピーカーの研究開発で、製品として世の中に出てないけれど、形になったものがいくつかあったので、今回はそれをご紹介します。
まず、メガフォン(写真一番左)
実はこのメガフォンですが、埼玉県『医療機器等試作品コンテスト』奨励賞を受賞しました。(プレスリリースはこちら)言葉が遠くまでクリアに届くので、メガフォンのニーズにピッタリでした。
次に、透明の振動板を使った通称「ミライスピーカーFILMO」(写真左から二番目)これは、有機ELを振動板にすることで、振動板に文字を表示させながら音がだせないか、というチャレンジでした。
これは、一緒に研究開発進めました、大手素材メーカーの受付や、有機ELの研究に強い山形大学のスマート未来ハウスにも展示されています。
▼2分30秒のあたりから、ミライスピーカーFILMOの展示が見れます
続いて、シーリングスピーカー(写真真ん中)
天井につけるスピーカーですね。これは、マーケットサイズはかなり大きいので、いくつか乗り越えないといけない障壁がありますが、今後も挑んでいきたい開発ですね。
次は、大型スピーカー(写真右から二番目)
ちょうど、東京オリンピックを目前にした時期に、スタジアムなどで使える大音量モデルの開発として試作しました。また、世界最大の振動板ということで、ギネス記録を狙ってみたい!という話もありました。
最後に、ドローンに積んだスピーカー(写真一番右)
災害時の伝達に活かせないか、ということで、ドローンにミライスピーカーを搭載してテストしてみました。
創業期、曲面サウンドの技術応用について多方面からお声がけいただき、技術フェローの故 坂本さんを中心として、次々試作品を作っていました。
創業当初は、法人向けとしてミライスピーカーが活躍
家庭向けモデルを2020年5月に発売する以前は、法人向けのモデルを展開していました。なかなか多くの台数を販売できずに苦しみましたが、多方面でお使いいただきました。
銀行や市役所などの呼び出しの機器に接続して使っていただいたり、駅の案内機に搭載いただいたり、空港のアナウンス用でお使いいただいたり、タイの警察病院の耳鼻科の呼び出しにもお使いいただき、感謝状をいただいたこともありました。(その際のプレスリリースはこちら)
聞こえづらい方にどれくらい聞こえを提供できるのかが、技術開発で大切なところなので、多くの方々に聞いてもいただきました。
創業当時、雷門の前あたりに、プラカードもって「試聴してください」と声かけてたんです。
その際、どんな格好がいいか検討して、最終的に白衣になったんです。今思えば白衣もおかしいですけどね(笑)
曲面サウンドの音波の研究
早稲田大学での研究
この図は、レーザードップラーという機器を使って、実際のリアルな粗密波の波形を測定したものです。ミライスピーカーの方が指向性が広くなっていることがわかりますね。
東京都立大学での研究
東京都立大学・大久保准教授の協力により、振動板の動きからシミュレーション解析を行いました。従来のスピーカーとは異なり、高音域において、広範囲にしっかりと音を届ける音場がつくられることが確認されました。
上記2つの研究結果から、ミライスピーカーの曲面サウンドは、従来のスピーカーと音波が異なることがわかりました。
研究開発は今もまだ進めていますが、最終的には、聴覚の部分について、医学的な知見も必要だと思っています。
編集後記
白衣を着て街中で声をかけていたお話、その気概を受け継ぎ、我々も今後、国内だけでなく世界へ、ミライスピーカーは挑戦を続けたいと思います。
宮原さん、ありがとうございました!
サウンドファンの歴史<特別編>
宮原さんと二人三脚でミライスピーカーの歴史を作った坂本さん
宮原さんの講演の中でも登場しました、創業期から曲面サウンドの技術開発をリードし、多くのメディアにも登場した、心優しき楽しい匠、坂本さんが2024年1月に他界されました。謹んでお悔やみ申し上げます。
坂本さんは、宮原さんとKENWOOD時代からの同友で、300件以上の特許を生み出したスピーカーの匠です。曲面サウンドの技術開発を宮原さんと一緒に牽引していただきました。
ガイアの夜明けでは、ベテランの革命、ということで、坂本さんが主役として活躍。ご自宅までお邪魔して撮影してもらいました。放送の翌日「近所で有名人になっていたよ!」と、ニコニコして話してくれました。
先日、お別れ会をご家族をお招きして開催。
坂本さんのエピソードトークをたっぷりみんなで語り尽くしました。
会の最後には、坂本さんが、いつもミライスピーカーから流していたこの曲をみんなでミライスピーカーで聴きました。
会社に、坂本さんのメッセージが残っていました。
坂本さん、この気持ち、大切にしていきます!
本当にありがとうございました。